男らしさと誠実性の関係から読み解く人間の繁殖戦略

今回はいつもと趣向を変えて筆者が常日頃考えていることを書き連ねていこうと思います。
今後はこういった記事も多くなるかもしれません。

思考の発端

ジャニーズのNEWSのメンバー手越祐也氏が、コロナの自粛期間中にパーティーを開催していたことが発覚し、処分を受けたというニュースを見ました(ニュースのソースはこちらです)。

手越氏がしたことに関しては呆れはしますが、あの人ならやりかねないなというのが正直なところですし、別にどうでも良いです。

気になったのはSNSでのファンの反応です。「今まで女遊びは仕方ないと思って応援してたけど、今回の件は庇いきれないよ」とか、「せっかく良いところもたくさんあるのにこんなことで自分の首絞めないで」といった反応が多いのです。
もちろん信者の善悪の分別をつけない盲目的な支持も危ういものだとは思いますが、この「擁護できない派」に関しては、今まで手越氏の何を見てきたんだ、何が好きだったんだ、と問いただしたい気持ちになってしまいます。

ここから本題の一つ目の、男性の思いやりや誠実さと世間一般で言われる「男らしさ」がトレードオフの関係にある傾向があるのではないかという議論につながっていきます。

議論①~「男らしさ」と誠実さはトレードオフ~

そもそも世間一般で言われる「男らしさ」とは何か。筆者自身は、男に一律に強制してくるような「男らしさ」という言葉は嫌いですが、ここでは「度胸がある、俺についてこいという感じの気概がある」といった特徴を表す言葉として、文章を簡易化するためにあえて使いたいと思います。

もちろん人格を形成するものは多岐にわたるので、一括りにまとめてしまうのは危険なことだと思いますし、全員が全員がそうであるわけではありませんが、あくまでざっくりとした傾向として、「男らしい」人は、自信を持っており、他人を引っ張るリード力やカリスマ性がある反面、自己愛の強いエゴイストである傾向が極めて高いと思います。もっと言ってしまえば、筆者は、魅力的な部分も多い分、エゴイスト故クズな部分もあると考えるのです。これは多くの人に直感的に共感してもらえるのではないでしょうか。手越氏は今までにも何度も文春砲を食らっていることもありますし、この傾向にドンピシャであると思われます。

ここで先ほど問いただした意味に戻ると、そんなことは百も承知で、そういったいわゆるクズな部分もあるけれど、それでも惹かれる才能、カッコよさがあったから好きだったのではないかということを聞きたいのです。今さらちょっとクズな部分を見せられたからと言って何を幻滅しているのかという気持ちになってしまいます。自信にあふれてまわりも引っ張れる「男らしい」が、それでいて周囲のことをちゃんと考えられる誠実な人間なんて、そんな聖人はそうそういません。もちろん皆無とは言いませんが。
基本的にこの二項はトレードオフの関係にあることが極めて多いと筆者は考えるのです。

思いやりや誠実さが強いと、周りをどういう気持ちにするか、周りにどういう目で見られるかが気になって、自分の思った通りに動いたり目立った行動を起こしたりしにくくなる結果、自分が前に立たなければならない「男らしさ」は発揮しにくくなります。
逆に、「男らしさ」を持っていると、自信があるから何をしてもついてきてくれる人がいるという確信があるし、自己愛が強いため自分のことを考えた行動が多くなります。その結果、周囲に目がいかなくなるので、思いやりや誠実さが欠けてしまうことになりやすいのです。

では、そもそも思いやりや誠実さと「男らしさ」というものが人によって違うのは何に起因するのでしょうか。
これは遺伝と環境要因どちらも関与していると思います。環境要因というのは、動物の生理や行動に影響与える周囲の環境を指します。動物は常に同じ遺伝子を持っていますが、状況により異なるパターンの遺伝子を発現できるのです。
すなわち、幼少期から褒められる機会や成功体験が少ないと、自信や自己愛が弱くなるので周囲の目を気にしやすくなる結果、思いやりや誠実さが強くなり、逆にそういった経験が多いと自信や自己愛が強くなる結果、「男らしさ」が高くなるといった寸法です。
あくまで、筆者の推測ですが。

議論②~「男らしい」人に惹かれる合理性~

ここから本題の二つ目に移っていきます。一定数の女性が、「男らしい」がクズ性を持つ男性に惹かれることの理由と合理性です。

皆さんのまわりや、もしかすると皆さん自身の中にもいるかもしれませんが、「男らしさ」に優れているがクズな部分がある男性、周りから「あの人はやめておいた方がいいよ」と言われるような男性に惹かれがちな女性というのは一定数います。筆者もそういった女性を数人知っています。

最初は、そういった男性も意中の女性の前では、本性を隠しているのではないかと思っていました。しかし、実際に傷つけられても付き合い続ける人はいます。また、実際にそういった男性がタイプだという女性に「将来的に自分が傷つく可能性が高くてもそういった男性が好きなのか」と尋ねてみたところ、肯定する返事も受けました。

つまりその男性のクズ性は理解したうえでなお惹かれるということになります。
そこに筆者は疑問を抱くのです。果たしてそれは生物の繁殖戦略において合理的であるのでしょうか。繁殖戦略とは、健康な子孫をなるべく多く残すためにどのような相手を交尾相手に選び、どのような子育てを行うかということです。例えば、魚類は多くの子を産むが世話はしないという選択肢をとり、多くの哺乳類は産む子の数は少ないが世話をよく行うという選択肢をとるといった具合です。

現代社会に生きる人間が子供を育てるとなると、もちろん片親でも可能ですが、やはり両親の力があった方が楽なのは間違いないでしょう。
「男らしさ」よりも、将来の子育てや家庭の営みへの参加度につながるであろう誠実さを優先した方が合理的であるのではないかと、そんな風に思ったのです。

そんなことを考えていると、「Menstrual cycle alters face preference」(※)というタイトルで、あの権威ある「Nature」誌に掲載されている、興味深い論文を見つけました。
タイトルを訳すと「月経周期が顔の好みを変化させる」というもので、超超要約すると、女性は排卵の時期の妊娠しやすい時にはゴツくていわゆる男らしいと言われるような顔を好み、それ以外の時には柔らかい中性的な顔を好むといった内容で、繁殖戦略として、遺伝子を子に伝える際には力や屈強さといった競争力のある遺伝子を得ようとし、子を養育する際には家庭的で面倒見の良い個体を得ようとしているのではないかということにも言及されていました。

この研究をもとに考えると、常に「男らしさ」の強い男性を好む女性というのは、繁殖戦略として、競争力のある遺伝子を得ることに重きを置いていて、逆の好みを持つ女性は、リスクの低い子育てを行うことに重きを置いていると考えることができるのではないでしょうか。

二つの繁殖戦略が共存しているというのはなかなかに興味深いです。というのも、多くの生物では、より有利な繁殖戦略のみに淘汰されていき、雌雄ともにそれに適合した特徴や行動を持つように変化していくからです。
人間で二つの繁殖戦略が共存できているのには二つの可能性があると思います。一つは、純粋に現在淘汰の途中にあるために共存している可能性です。二つ目はどちらも生存上デメリットが無いことを表しています。

一つ目の可能性については前述の通りなのですが、二つ目の可能性について少し説明を加えます。どちらの戦略にもデメリットが無いというのは、どちらにもそれぞれのメリットがあるということもありますが、人間社会の特殊性も大きく関わっていると思います。
「男らしい」遺伝子を選んだ結果、子育てを女性一人でやることになってしまった場合、野生であれば子供を守りながら食料を調達することは非常に難しく、親子共に死亡のリスクが極めて高くなるでしょう。しかし、人間社会では苦労は多くとも可能ですし、また、社会的な補償を受けられたりもします。逆に、リスクの低い子育てを選んだ結果、競争力の低い子供が生まれた場合、野生では食料獲得競争に敗れたりして死亡するリスクが上昇しますが、人間社会では多岐にわたる方法でお金が得られれば問題ないので、死亡のリスクは上昇しないでしょう。

まとめとして、「男らしさ」はあるがクズさのある男性に女性が惹かれることの生物学上の合理性という疑問に答えるなら、競争力の強い遺伝子を子に伝えるという点でメリットはあるが、この繁殖戦略が現代の人間社会に適しているのかどうかは、淘汰の有無が明らかになる数百年から数千年後までは分からない、といったところになるでしょうか。

まとめ

筆者は、「男らしさ」は、自信や他人を引っ張るリード力やカリスマ性につながる反面、自己愛の強さやエゴイズムつながる可能性が高く、その逆の特性を持つ誠実さとはトレードオフの関係にある傾向が強いと考えました。

また、生物学的な繁殖戦略上、この「男らしさ」に惹かれる女性は競争力の高い遺伝子の獲得に重きを置いていて、誠実さに惹かれる女性は子育ての安定性に重きを置いているのではないかと考えました。そして、どちらが繁殖戦略的に優れているのかは、未来になってどちらかが淘汰されているのか、依然として共存しているのかによって明らかになると思っています。

参考文献

※Menstrual cycle alters face preference
I. S. Penton-Voak, D. I. Perrett, D. L. Castles, T. Kobayashi, D. M. Burt, L. K. Murray & R. Minamisawa
Nature volume 399, pages741–742(1999)

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